おおむね農夫、時に木こり。「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし」(山頭火)。こんな生活のあれこれを綴ります。
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売春婦の幸福を祈る
 梅雨が戻ってきた。雨の日は畑仕事を休んで①だらだら過ごす②温泉に行く③本を読む――ぐらいしかやることがない。今日は、その全部をやった。

 読んだ本は『山頭火 日記(一)』(山頭火文庫5・春陽堂)。昭和5年9月から11月までの「九州地方行乞記」が収められている。蛇足ながら行乞(ぎょうこつ)とは僧侶の物乞い、托鉢のこと。

 以下に引用するくだりは、熊本県南部の人吉で書かれた。人吉は球磨焼酎の産地として名高い。1度行ったことがあるので親近感を持って読めた。

       九月十六日 曇、時雨、人吉町行乞

 (前略)人吉で多いのは、宿屋、料理屋、飲食店、至るところ売春婦らしい女を見出す、どれもオツペシヤンだ、でもさういふ彼女らが普通の人々より報謝してくれる、私は白粉焼けのした、寝乱れた彼女からありがたく一銭銅貨をいただきつつ、彼女らの幸福を祈らずにはゐられなかった、――不幸な君たち、早く好きな男といっしょになって生の楽しみを味はひたまえ!(後略)


 76年前の人吉。乞食(こつじき)して歩く、放浪の俳人の姿が目に浮かぶようだ。一銭銅貨を渡す売春婦の優しさが切ない。今夜は球磨焼酎を飲んで寝よう。

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2006.06.30 Fri 15:16:16 | | 0 track backs, 4 comments
時よ止まれ
20060625081637.jpg 山道の草むらにミズヒキが咲いていた。ミズヒキは、自然にあるがままを眺めるのもよし、備前の花器に活けるのもよし。どちらにも小さな灯火を見るような風情がある。

 でも、何か変だ。ミズヒキは秋の季語だし、植物図鑑にも「開花は8~10月」と書いてある。石川県の白山スーパー林道付近で、見事な群生を見たのは、涼やかな風の吹く初秋だった。6月に咲くのは、早過ぎはしないか。

 早すぎると言えば、コオロギがもう、リンリンと真昼間から鳴いている。休耕田では、コスモスが咲き始めた。これからが夏本番なのに、秋が近いと錯覚しそうになる。

 6月も残りわずか。1年の半分が過ぎたという実感は全くない。「寒かですね」と挨拶を交わしたのは、ついこの間のような気がする。時の経つ早さに呆然とするばかりだ。

 時よ止まれ。そんなに急いで行かないでおくれ。

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2006.06.29 Thu 15:20:21 | 暮らし| 0 track backs, 6 comments
捨てる神あれば
20060627134617.jpg 1円玉より小さな柿の実が毎日落ちてくる。こんなに落ちたら、いくらも木に残らないのではないかと心配になるほど量が多い。いわゆる自然摘果。余分な実を落とし、残りを大きく育てる自然の知恵だ。

 妙なことが気になった。実を落とす、残すの選別を誰がするのだろう?「私たちが犠牲になります」と自発的に落ちるのか。木に宿る神さまが「みんなのために、君たちが落ちなさい」と指名するのか。神に見捨てられた幼い実は、やがて土となり、木と実を養う。かわいそうだが、これが自然の摂理なのだろう。

 水路脇の石垣を沢ガニが何かを抱えて上っていた。よくよく見ると、それは小さな柿の実だった。神が見捨てた実をカニが拾う。「捨てる神あれば拾うカニあり」とは、このことか。

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2006.06.28 Wed 16:01:32 | その他| 0 track backs, 2 comments
脱走の名人
20060627134638.jpg 水を張った田んぼにオタマジャクシがいる。不思議でも何でもない。では、イモリ(アカハライモリ)がいたら?

 近所の田んぼにイモリがウジャウジャいた。少なくとも私は、こんなに多くのイモリを1度に見たことがない。異常発生したのかな(写真に写っているのは1匹だけ。おかしいなぁ)。

 イモリは名前の通りお腹が赤い。名前も形もよく似たヤモリは腹黒。「間違ってもらっては困る」とイモリは言うだろう。

 以下は『びっきいとやまどじょう』というサイトを参考にした。
 「イモリは下北半島を北限として、水のきれいな水田や池に住む。ペットショップでも売っている。糸ミミズやアカムシをやれば飼育は簡単だが、脱走名人なので必ず飼育容器にふたをするように」

 ある日、脱走名人のイモリが、サングラスで変装して逃げた。何という偽名を使ったか?答えは「タモリ」。背筋も凍るサム~イ親父ギャグでした。お粗末!

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2006.06.27 Tue 14:30:09 | その他| 0 track backs, 0 comments
夜明けのドンチャン騒ぎ
 目を閉じているのにピカッ、ピカッと部屋が明るくなった。と感じた次の瞬間、窓ガラスが震えるような大雷鳴。大勢の雷さんが、ド派手にドンチャン騒ぎをしている。まだ夜は明けていないが、眠ってなんかいられない。外は激しい雨。稲光が空を裂くたびに、山の稜線がはっきり見えた。

 前の夜、1人暮らしの婆ちゃん3人を車に乗せて公民館に行き、そこで泊まってもらった。このあたりでは、たいていの家が山を背負う形で建っている。山崩れが起きたらひとたまりもない。万一を考えて、早めに避難してもらおうという判断だった。

 公民館では、3人の婆ちゃんが心細い思いをしているだろう。様子を見に行ったら、3人とも起きていて「えすかぁ(怖い)」「うらめしか」と口々に言う。「ここは山から離れているので、土砂崩れの心配はない。雷も家の中にいたら大丈夫」と励ました。

 夜明けとともに、雷さんはドンチャン騒ぎをお開きにして、遠ざかって行った。とりあえず全員無事。めでたし、めでたし。

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2006.06.26 Mon 12:59:25 | 暮らし| 0 track backs, 4 comments
アジサイの末路
20060617160224.jpg ナンテンの花が咲き始めた。ナンテンは、花よりツボミが綺麗だ。純白の小さなツボミが、雨に打たれている姿は趣がある。だが、花が開くと、中の不透明な黄色が露出して薄汚い。

 花の盛りは総じて短い。開花とともに衰えが始まり、やがて色あせ、しぼむ。アジサイは、花の命が終わったあとも、なかなか散らない。冬になっても、ドライフラワー状態の花が枝にしがみついている。散り際が見事なサクラとは大きな違いだ。

 アジサイの末路は、地位・権力に執着する政治家や財界人を連想させる。「老残の身をさらす」という言葉も思い浮かぶ。辞書によれば老残とは「年をとって、むなしく生きながらえること」。ホメ言葉ではない。

 地位・権力のある人の出処進退と、我ら庶民の老後の生き方は、全く別の次元にある。エライさんは、サクラのように潔く身を処せ。庶民は多少カッコが悪くても、アジサイのしぶとい終わり方に学ぼう。真っ当に暮らして長生きする。誰にも「老残」とは言わせない。

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2006.06.25 Sun 15:37:57 | | 0 track backs, 4 comments
誰でも嫌がる仕事を……
 今日も雨。畑仕事をあきらめて、久しぶりに『詩のこころを読む』(茨木のり子・岩波ジュニア新書)に目を通した。

 若い人に読んでもらいたい詩を集めたこの本の中で、私が一番好きな作品を紹介しよう。駅の汚い汚い便所を掃除する目元の涼しい青年。若い皆さん、こんな青年を素敵だと思いませんか?少し長いけれど、読んで損はないと思う。

             便所掃除      濱口國雄

    扉をあけます
    頭のしんまでくさくなります
    まともに見ることが出来ません
    神経までしびれる悲しいよごしかたです
    澄んだ夜明けの空気もくさくします
    掃除がいっぺんにいやになります
    むかつくようなババ糞がかけてあります

    どうして落着いてしてくれないのでしょう
    けつの穴でも曲がっているのでしょう
    それともよっぽどあわてたのでしょう
    おこったところで美しくなりません
    美しくするのが僕らの務めです
    美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

    くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
    静かに水を流します
    ババ糞に おそるおそる箒(ほうき)をあてます
    ボトン ボトン 便壷に落ちます
    ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
    心臓 爪の先までくさくします
    落とすたびに糞がはねあがって弱ります

    かわいた糞はなかなかとれません
    たわしに砂をつけます
    手を突き入れて磨きます
    汚水が顔にかかります
    くちびるにもつきます
    そんな事にかまっていられません
    ゴリゴリ美しくするのが目的です
    その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
    大きな性器も落とします

    朝風が壷から顔をなぜ上げます
    心も糞になれて来ます
    水を流します
    心に しみた臭みを流すほど 流します
    雑巾(ぞうきん)でふきます
    キンカクシのうらまで丁寧にふきます
    社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

    もう一度水をかけます
    雑巾で仕上げをいたします
    クレゾール液をまきます
    白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
    静かな うれしい気持ちで すわっています
    朝の光が便器に反射します
    クレゾール液が 便壷の中から七色の光で照らします

    便所を美しくする娘は
    美しい子供をうむ といった母を思い出します
    僕は男です
    美しい妻に会えるかも知れません
 

 作者の濱口は、旧国鉄の荷物輸送列車で車掌として働き、56歳の若さで亡くなった。気立てのよい、美しい娘さんと出会って幸せな人生を送ったと信じたい。

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2006.06.24 Sat 14:33:49 | | 0 track backs, 2 comments
無情の雨
20060623071713.jpg 未明、激しい雨音で目が覚めた。暗い中で出来ることは少ない。裏山が崩れなければいいがと思いつつ、また眠る。

 しばらくして、今度は有線放送で起こされた。雨の被害情報ではない。W杯サッカー日本対ブラジル戦の実況放送を始めたのだ。まだ、朝の4時だぜ。どうしても試合を見たい人は、自分で起きるだろう。サッカーに興味のない人だっているはず。全戸に実況を流すなんて、小さな親切大きなお世話だ。

 それはさておき、山林の面積が80%を占める我が山里は、崖崩れなどの自然災害が起こりやすい。昨年7月の大雨は凄かった。1時間に93ミリの降水量は「バケツを引っくり返したような」という表現を超える。数百本の杉を倒し、川の護岸壁を何ヵ所も引き剥がした。山崩れや道路の崩壊も多発し、激甚災害に認定された。私の畑も、ご覧のように山崩れの土砂で埋まった。段々畑6枚のうち1枚は、今も全く使えない。

 雨はまだ降り続いている。大雨情報によると、「九州北部は1時間に50~60ミリ、明日の朝までに200ミリの大雨が降る恐れがある」という。自然災害が起こらないよう祈るばかりだ。

20060622071805.gif←  度が過ぎた雨は困るという人はワンクリックお願いします
2006.06.23 Fri 14:51:12 | 暮らし| 0 track backs, 0 comments
ボケの恐怖
 県道脇の畑に軽乗用車が突っ込んで止まっていた。ナスが10メートルほどなぎ倒されている。一体どうしたのだろう。

 車の中を見ると、意外なことに、同じ集落のGさん(80代・男)と奥さん(70代)が乗っていた。「死ぬかと思った」と震えている奥さんの横で、Gさんは「なぜ、こんな所にいるんだ?」とぼんやりしている。幸い怪我はなかったので、後から来た人たちと車を引き出し、家族を呼んだ。

 後から聞いた話だが、Gさんはボケ(認知症)の症状が出始めていたのだという。車をノロノロと蛇行運転したり、国道を走行中に突然車を停め、「さっきの店で、領収書をもらったかな」と言って財布を開いたりする。「危ないから運転するなと何度も言っただろっ!」と息子が怒るのも無理はない。

 年をとると、程度の差はあれ誰でも物忘れがひどくなる。勤め人のころ、長年の友人を呼び止めようとして、名前が出てこず、愕然とした。今では、物忘れは日常茶飯事だ。

 物忘れが進むと認知症になるのだろうか。家族や友人の顔も識別出来なくなるのだろうか。

 Gさんは運転を止め、家の回りの草取りをしている。

  

   20060622071805.gif 
 ←ボケは他人事ではないと思ったらココを一押し
2006.06.22 Thu 16:36:26 | 暮らし| 0 track backs, 6 comments
殿様気分で
20060620150549.jpg 私は山を5つ持っている。いや、正直に言えば、山を5つタダで借りている。山だけではない。畑も家もぜ~んぶ借り物だ。自慢ではないが、自分の土地は1坪もない。

 しかし、「借り物」の看板が立っているわけではないから、土地持ちの気分でいる。今日も自分の領地を視察する殿様になったつもりで山を歩いた。目的は、風呂を沸かす薪にする風倒木や、立ち枯れの木のありかを確かめること。殿様にしては、少々せちがらい。

 山には何本もアケビの木があって、早くも小さな青い実をつけていた。まだ梅雨明けしないのに、もう秋の準備をしている。「うい奴じゃのう」と、またも殿様気分。

 山を降りて、Tさん(70代・女)にアケビの話をした。Tさんは「アケビは大好物。秋になったら、少し取っていいか」と言う。「もちろんですよ。遠慮なく全部取ってください」……殿様は太っ腹なのだ。

20060622071805.gif ←山を持たない人も一押しを
2006.06.21 Wed 15:33:43 | 畑仕事| 0 track backs, 0 comments
古き友 梅干し
20060620150443.jpg 裏山のウメの老木から黄色く熟れたウメが落ち始めた。5~6分拾っただけで、大きなボウルが一杯になる。昨日拾ったばかりなのに、今朝見たら、何事もなかったように、沢山の黄色い実が転がっていた。こんな状態が1週間は続く。

 熟れた実は梅干しに、我がミニ果樹園で収穫した青い実は梅酒にする。梅酒はともかく、梅干しはなかなか食べ切れない。いま食べている梅干しは3年前に漬けたものだ。

 梅干しとの付き合いは古い。子供のころの弁当には、いつも梅干しが入っていた。この「日の丸弁当」は、もう死語かも知れない。ほかに、どんなおかずがあったか。塩ジャケ、タクアンと指を折って、後が続かない。梅干しの記憶が強すぎるのだろう。

 殻を噛み割って中の実(天神さんと呼んでいた)も食べた。親は「字が下手になるから止めなさい」と言ったが、隠れて食べ続け、無類の悪筆になった。

 今は歯が衰え、殻を噛み割ることは出来ない。注意してくれる親もいない。焼酎のお湯割りに梅干しを入れてすするのみだ。

 「梅干しは塩分が多いから、控えたほうが……」と医者は言う。血圧が上がるぐらいで、古き友 梅干しを見捨てられようか。

 20060622071805.gif 
←梅干しが嫌いでも一押しを!
2006.06.20 Tue 16:19:22 | 暮らし| 0 track backs, 0 comments
湧き水を引く
DSCF0094.jpg “草刈り十字軍の老兵士5人”(6月11日『老兵士の合コン』参照)に、またお呼びがかかった。観音堂周辺の草刈りに続いて、今度は観音堂に山の湧き水を引くのだという。婆ちゃんたちの人使いの荒いこと!

 お参りする人たちが口をすすぎ、手を洗う水は、これまでも山の水を引いていた。ただ、水源の位置が山の低い所にあるため、水圧がかからず水の出が悪い。もっと高い場所から水を引いてほしいと、かねがね婆ちゃんたちに頼まれていたのだった。

 目標の水源は棚田の最上段付近。10数年も放置された棚田は、草や潅木、竹に埋もれ、かつて田んぼだったとは、とても思えない。

 まず、道作りから始めた。草を刈り、竹や木をナタでなぎ倒して少しずつ進む。セセリ(小型の吸血昆虫)がワラワラとまとわりつき、「こりゃ、虫に食い殺されるどっ!」と叫ぶ者も出てくる。まるで、ジャングル探検隊だ。

 道が出来たらコンクリート製の桝(ます・水を貯める器)と、水を通す長さ120メートルのパイプを山上に運び上げなくてはならない。「80キロはあろう」という桝は天秤棒につるして2人でかつぐ。このころになると、誰もが無口になる。聞こえるのは、お互いの荒い息だけだ。

 その他の細かい作業は省くとして、老兵5人の水引き作戦は大成功だった。ほとばしる冷たい水で顔を洗い、口をすすぐ。生き返った心地がした。

 婆ちゃんたちが冷えたビールと手料理を用意してくれていた。「オオゴツでしたネ。さあ、飲みなっせ。食べてはいよ」。何と優しいことよ。我が人生、こんなにモテたことがあっただろうか?

 
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2006.06.19 Mon 16:02:21 | 暮らし| 0 track backs, 2 comments
96歳の孤独
 老犬チビ太が失踪(6月3日『人知れぬ場所で』参照)して2週間が過ぎた。まだ見つからないし、これからも生きては見つからないだろう。

 1人取り残された飼い主のNさん(96歳・女)の様子が、少しおかしくなった。みんなの心配が不幸にも的中した形だ。

 これまで、1週間か10日に1度しか我が家に来なかったNさんが、毎日朝昼夕の3回、話をしにくるようになった。顔色も優れない。

 話題は、いつもチビ太のこと。「だいぶ弱っていたから、どこかの草むらで死んでいるだろう。もうあきらめています」と言いながら、「どこからか、ひょっこり帰ってこないだろうか」とも言う。そして、数々の思い出話。私は黙って聞いてあげることしか出来ない。

 Nさんにとって、チビ太は単なる飼い犬ではなく、ともに老いる人生のパートナーだった。突然1人になったNさんの哀しみ、苦しみは想像に余りある。

 家の中で1人、チビ太の帰りを待つNさんが、寂しさに耐えかねて我が家を訪れる。

 私は今日も、Nさんの話に耳を傾ける。96歳になるまで、Nさんはどれだけ多くの哀しみを経験したのだろう、と思いながら。
 
2006.06.18 Sun 16:22:52 | 暮らし| 0 track backs, 3 comments
がまだしもん
 目が覚めたら、雨が激しく降っていた。ゴウゴウという川の音も枕元に伝わってくる。これでは、畑仕事は無理。もう1度寝直すことにした。雨の音を聞きながらまどろむのは、いい気持ちだ。

 江戸狂歌「世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」を思い出す。「浮世の馬鹿」とは、あんまりな表現だが、朝寝坊の醍醐味をうまく言い当てている。

 今日は、軒下で出番を待つダイズの苗(写真)を植える予定だった。まあいい、明日にしよう。気分が乗らなかったら、あさってに。素人の畑仕事は臨機応変、ありていに言えば、ぐーたら農業だ。

 本職は、そうは行かない。例えばTさん(50代・女)は、朝4時起きして新聞を配り、その足で野菜を出荷。そそくさと朝食を済ませ、6時には父ちゃんと一緒に畑に出ている。昼食後に一服する以外、夕方暗くなるまでぶっ続けに働き、夜は遅くまで出荷の準備。もちろん雨の日も働く。よく体が持つものだ、と感心する。

 こんな「がまだしもん」(働き者)の前に出ると、ぐーたら農夫は、うなだれるしかない。
2006.06.17 Sat 15:07:25 | 畑仕事| 0 track backs, 2 comments
エッ、これがウメですか?
DSCF0056.jpg まだ勤め人だったころ、若き秀才クンと一緒に岡山市の郊外をドライブした。農家の庭で、ウメの古木が無数の白い花を傘のように広げていた。

 思わず「見事なウメだなあ」と感嘆したときに、秀才クンの言ったことが忘れられない。「エッ、これがウメですか?へ~え」。オイオイ、君はウメを知らないのか?高校時代、旺文社の全国模擬テストで3位になった頭には、数式や英語、歴史、世界地図が詰まっていても、ウメの入る余地はなかったのかい?

 それから20年余。何種類もの野の花が咲く山里に住んで、そのほとんどの名前を知らない。ウメを知らなかった秀才クンと大差はないのだ。

 写真の花も人に聞いて初めて名前を知った。「タツナミソウ」(立浪草)ーー。『野に咲く花』(山と渓谷社)によると、「花が片側を向いて咲く様子を、泡だって寄せてくる波に見立てた」名前だという。

 言われてみれば、波が盛り上がって、まさに崩れる瞬間に似ていなくもない。農道脇の斜面に咲く花について、たったこれだけの知識を得ただけで、花の印象が変わってくる。山の中の小さな青い花に波の音を聞く。「あしたもよろし ゆうべもよろし」だ。
2006.06.16 Fri 15:19:08 | | 0 track backs, 2 comments
道草を食わぬ子供たち
 「ただ今、○年生と○年生が下校しました。見かけましたら、子供の安全のために声掛けをお願いします」。小学校の下校時、有線放送が毎日、こんな呼びかけを流す。

 小学校の全校児童数は45人。広く分散した14の集落から通学している。私の住む集落には、小学生が3人しかいない。隣の集落の子らと連れ立って帰っても、たった5人の集団下校だ。人通りのない夕暮れの林道を帰る子供たち。さぞ心細いことだろう。

 子供が殺される事件が頻発して以来、「安全安心パトロール」というステッカーを貼った軽トラが目立つようになった。遠隔地の子供はマイクロバスで送迎する。これまでには無かった物々しい雰囲気だ。

 だが、一番変わったのは子供たちの表情である。旗を持った上級生を先頭に、脇目もふらず歩く。以前は、道端にランドセルを置いて草むらを覗いたり、小川で魚を追ったりしていたのに。「あんまり道草を食うと日が暮れてしまうぞ」と、ほほ笑ましく眺めたものだ。

 興味を惹くものが沢山ある田舎に住みながら、子供が誰も道草を食わない。殺伐とした世相が、過疎の地の子供たちにも影を落としている。大人の責任は重い。

 

 
2006.06.15 Thu 12:44:17 | 暮らし| 0 track backs, 2 comments
ストローベリー
 イチゴ農家のFさん(60代・男)は出荷のピークを過ぎると、近隣の人や保育所に「ちぎって(摘んで)よかよ」と声を掛けてくれる。婆ちゃんや、保母さんに引率された園児がビニールハウスでイチゴを積む姿は、もう見慣れた風景だ。

 この時期のイチゴは粒がやや小さく、形も不揃い。農協に出荷しても受け付けてもらえないのだという。私もFさんの言葉に甘えてイチゴを摘んだが、味には全く問題なし。大変おいしい。それなのに商品価値はないといって排除される。イチゴ悲しからずや。

 農協の選果場で、こんな風景を見た。パートのおばさんたちがパックの覆いを外し、一粒一粒明かりにかざしてチェックしている。そんなことで味など分かるはずはないから、見た目の良し悪しを吟味しているのだろう。

 消費者は色美しく、形のよいものを選ぶ。虫食いや傷のある野菜は、売れないから出荷時に農協ではじかれてしまう。生産者は見た目のいい野菜を作るために、限度ギリギリまで農薬を使わざるを得ない。それでいいのかな?

 

 
2006.06.14 Wed 19:46:15 | 暮らし| 0 track backs, 0 comments
ブルーベリー
20060610142130.jpg 我が零細果樹園のブルーベリーが小さな実をつけた。花が咲いたのは4月20日ごろ。同じころ花開いていたミカンも、マッチの頭ほどの実をつけている。

 毎日のんべんだらりと日を過ごし、「もうすぐ1年の半分が経ってしまう。今まで一体何をしてきたのだろう」とぼやく私。それに引き換え、ブルーベリーやミカンは時間を無駄にせず、着実に成長していたのだ。

 「田舎では、時間がゆっくり流れる」というのは、当たっていない。畑を耕し、種をまき、草を刈ったりして、ふと気がつくと、いつの間にか季節が変わっている。

 梅が散り、桜が咲き、そして今は夏草が猛々しい……やがて盆が来て、台風が去れば秋風が吹き出すだろう。我が身に花も咲かず、実りのないまま、こうして1年が過ぎていく。毎年のことだ。

 山川草木に囲まれた田舎だからこそ、「生々流転」を身近に感じるのかも知れない。もう少し記憶に残る暮らしをしなければ、と思いつつ今日もぼんやり時を過ごしている。

 

2006.06.13 Tue 09:14:35 | 暮らし| 0 track backs, 4 comments
田舎の音
 毎朝5時半に起床する。庭先の椅子に腰掛けて、まず一服するのが日課だ。「トッキョキョカキョク、トッキョキョカキョク」。まだ薄暗いのに、もうホトトギスが鳴いている。「テッペンカケタカ、テッペンカケタカ」とも聞こえる。運がいいと、山から谷へ、谷から山へ鳴きながら飛ぶ姿が見える。何が悲しくて1日中鳴き続けるのだろう。

 コジュケイも負けていない。「チョットコイ、チョットコイ」と執拗に山へ誘う。1度、カラスに追われて杉林の中を逃げ回るコジュケイを見た。思いのほか大きく、ずんぐりした鳥だった。これにウグイスを加えた3種が、今の季節の昼の主役だ。

 夜は、なんと言ってもカエル。水を張った田んぼから、カエルの大合唱が衝撃波となって押し寄せ全身を包む。少々、うるさい。そのカエルが突然、沈黙することがある。ヘビが接近したのだろうか。

 田舎は静かだが、決して無音の世界ではない。都会の騒音の中で平気で眠る人もいれば、山の宿が静か過ぎて眠れなかったという人もいる。田舎と都会のどちらがいいか、要は慣れと好みの問題だろう。

 
2006.06.12 Mon 16:00:39 | 暮らし| 0 track backs, 0 comments
老兵士の合コン
20060610142216.jpg 小さな山の中腹に集落の小字(こあざ)10戸がお守りをする観音堂(お観音さん)がある。1月、6月、9月の年3回、婆ちゃんたちが、ここで“お籠もり”をする。ご飯、料理、お茶菓子を持ち寄っておしゃべりをする昔からの行事だ。働き者の婆ちゃんたちが誰にも気兼ねせず、息抜きをする貴重な時間である。

 今日は男たち5人が朝8時に集合して、お観音さん周辺の草を刈った。急斜面にへばりつき、大鎌を振るう。1時間もしないうちに、ひざが笑い出し、腰に痛みが走る。草刈りが終わるころには汗まみれになった。

 いつもはこれで放免されるのだが、今年は「あたらも、かたれ(あなたたちも参加しなさい)」と、午後からのお籠もりに招待された。かくして、草刈り十字軍の老兵士5人と婆ちゃん9人の合コンが実現。

 婆ちゃんたちは狭いお堂にひざを詰めて座り、老兵士は外で焼酎を飲む。ジャガイモの煮転がし、フキの佃煮、ゼンマイの煮物、高菜の漬け物といった料理が、どれもおいしい。高台のお観音さんから見える川、茶畑、栗の林、杉山の風景も料理に負けていない。

 夕暮れが迫るころには、すっかり酔いが回った。みんなで何を話したか、ほとんど覚えていない。

 

 

 
2006.06.11 Sun 20:59:35 | 暮らし| 0 track backs, 2 comments
ジャガイモの花
20060610142058.jpg スーパーなどの店頭に新ジャガが山積みされている。我が菜園のジャガイモは、花が咲き始めたばかりで、収穫は、もう少し先になる。タネ芋を植えるのが遅かったせいかも知れない。

 今年は実の赤い「アンデス」を植えてみた。メークインや男爵の花は黄色みがかった白。実の赤いアンデスは花も赤い。

 子供のころ、水っぽいジャガイモを主食代わりに散々食べさせられた。戦後のモノのない時代で、仕方のないことだったが、これが後年のジャガイモ嫌いにつながった。おいしそうな粉吹きジャガイモを見ても、ついつい敬遠してしまう。

 飽食の時代にありながら、子供のころの食の記憶を引きずる自分が少し切ない。
2006.06.10 Sat 16:46:42 | | 0 track backs, 2 comments
ナメたらいかん
 テーブルの上に小さな虫がいた。体長3cmほど。薄茶色の体の両脇にビッシリ足が生えている。ムカデの幼虫だ。

 手のひらで受けて、庭に捨てようとしたとき“悲劇”は起きた。
 左手の薬指に、ガラス片で刺したような痛みが走り、ムカデの幼虫が噛みついたままぶら下がっていた。あわててむしりとったが、後の祭り。虫刺されの軟膏を塗っても痛みは消えない。そのうち、指だけではなく、手のひらまでパンパンに腫れてきた。これでは畑仕事用の軍手もはめられやしない。

 病院の皮膚科で診て貰ったら「ムカデの毒は神経性だから軟膏は効きません。幼虫でも毒は当然あるし、痛み、発熱、腫れをともない、人によっては皮膚に潰瘍が出来ます」という話だった。

 ①アレルギーと炎症を抑える抗生物質②感染症を防ぐ薬③荒れた胃の粘膜を修復する薬④腸の働きを整える薬ーーを受け取って帰宅。痛みは、かなり軽くなったが、3日後にまた病院に行かなくてはならない。面倒なことだ。

 そんなこんなで、今日の予定は全部狂ってしまった。一寸先は闇。毒虫は、たとえ赤ちゃんでもナメてかかってはいけない。
2006.06.09 Fri 14:14:23 | 暮らし| 0 track backs, 2 comments
律儀な人たち
20060608141204.jpg 昼前から雨。ラジオが「九州北部も梅雨入りしたと思われる」と伝えていた。昨年より2日早いそうだ。

 その雨の中をSさん(60代・男)が大量のジャガイモとチンゲンサイを持ってきてくれた(写真はほんの一部)。何日か前、お世話になっている方々にグリーンピースを届けたが、そのお返しである。恐縮する私にニコニコ手を振って、「豆でアンコ作ったら美味かったァ。孫も大喜びしとった」と言ってくれた。

 集落には、物を貰ったら必ずお返しをする律儀な人が多い。しかも、2倍、3倍もの量が返ってくる。素人のママゴト農業には真似の出来ないことで、恐れ入るしかない。

 沢山手に入ったものを近所に配ったり、貰い物をお裾分けする。そんな風習はまだ、都会の下町に残っているだろうか。

2006.06.08 Thu 15:25:13 | 暮らし| 0 track backs, 2 comments
田舎も物騒
 早朝の「道の駅」で何やら騒ぎが起きていた。パトカーも来ている。人の輪の中で、同じ集落のRさん(60代・女)が警官と話をしていた。顔見知りが「Rさんの軽トラが盗まれたらしい」と教えてくれた。ゴボウを出荷して戻るまでの、ほんのわずかな時間の出来事。車のキーはつけたままだった。

 みんなで「中古の軽トラを盗んだって、幾らにもならんバイ」「誰かが違う場所に移動させたんじゃなかネ」などと、ガヤガヤやっているところへ1台の軽トラが、かなりのスピードで入ってきた。車から飛び降りたのは、やはり同じ集落に住むYさん(50代・男)。Rさんに駆け寄ってペコペコ頭を下げている。

 Yさんの話によると、事情はこうだ。「道の駅」から帰って車の荷台を見たら、自分のものではないコンテナや草刈り機が積んであった。そこでようやく、車を間違えたことに気づいた。考えごとをしていたので、途中では、おかしいとは思わなかった……

 終りよければすべてよし。軽トラの件は一件落着したが、このところ山里では盗みが頻発している。庭に停めた乗用車から釣竿と小銭、畑のドーフン(動力噴霧器)、お寺のさい銭、山に植えたシャクナゲ等々。「道の駅」も万引きが頭痛の種だ。

 田舎も物騒になったものだ。

 

 

 


 
2006.06.07 Wed 17:32:59 | 暮らし| 0 track backs, 2 comments
栗の花咲く
DSCF0075.jpg 山里は今、栗の花盛り。どこに行っても、この花独特の匂いがする。悪臭ではないが、お世辞にも芳醇な香りとは言えない。

 梅雨入り間近のジトジトした空気。30度を超える気温。これに栗の花の匂いが加わると、自分に微熱があるような、けだるい気分になる。

  「栗の花青き匂いの夜の闇」

 ある俳句投稿サイトに上の句を出したところ、「夜の闇は余分。別の『こと』で心情を詠いたい」と評された。

 「匂いに満ちた夜の闇のけだるさ」を表現したかったのに伝わらなかった。残念!

2006.06.06 Tue 17:12:29 | | 0 track backs, 0 comments
散々な出来
 2、3日前からタマネギ、ニンニク、ラッキョを収穫している。グリーンピースとキヌサヤは、本職から「よか豆が出来たね」と誉められたので、別の畑で栽培しているこの“根菜3兄弟”も期待していた。

 ところが、いずれも玉太りが悪い……なんていう生やさしい出来ではなかった。タマネギはピンポン玉の大きさ、ニンニクもペケ、ラッキョに至っては、ほとんどふくらみがない。明らかに肥料不足だ。

 植え付け前に油かす、草木灰、野菜クズ、枯れ葉、燻蒸もみがら、鋸クズをタップリ鋤き込んだ。化学肥料は使っていないが、去年はこれで、まずまずの“根菜3兄弟”が出来た。

 今年の不作に思い当たることがある。昨年7月の集中豪雨で壊れた農道や水路の復旧工事が遅れて、10ヶ月も畑に近づけなかった。その間に雑草が茂りに茂り、養分をみな奪ってしまったに違いない。

 被害発生から工事完了までのスローテンポに、旧社会党の牛歩戦術を思い出した。
2006.06.05 Mon 17:34:21 | 畑仕事| 0 track backs, 4 comments
蛍の飛ぶ里
DSCF0051.jpg 青い梅が「道の駅」でよく売れている。我が家の梅も、かなり大きくなった。「梅雨の雨を1度くぐらせると、梅はおいしくなる」という。梅雨入りを待って収穫することにしよう。

 梅が実るころ、我が家の庭にも蛍が毎晩のように飛んでくる。集落を二つに割って流れる川から風に乗って漂ってくるのだろう。しばらく庭で遊んで、ふいに思いがけなく高く飛び、裏山の杉木立に消えていく。

 この地に移住した年の6月、川の上流に向かって歩いてみた。ここかしこで、蛍が青い光を曳いて飛び交っている。支流に逸れてさらに歩き、信じられない光景を見た。街灯もない闇の中を幾百もの蛍が飛んでいたのだ。誰にも出会わない。音もない。聞こえるのは川の流れる音だけ。

 これが現実の世界だろうか?知らずに幽冥界に踏み入ってしまったのではないか?総毛立つ思いで逃げ帰ってきた。

 それ以来、蛍は庭先で楽しむことにしている。

 

 
2006.06.04 Sun 15:42:30 | 暮らし| 0 track backs, 0 comments
人知れぬ場所で
 近所のN婆ちゃんは96歳。15歳の犬を飼って、1人で暮らしている。犬の名前はチビ太。年老いて足元もおぼつかない。最近は寝ていることが多く、用を足すときだけN さんが外に出していたという。

 そのチビ太がいなくなった。
「あたげ(あなたの家)の庭に来てませんか。戸の隙間から出たらしくて」と言うNさんの表情がこわばっている。

 足が弱っているから遠くには行くまい。家の周り、草むら、農業用水路、近くの畑を見て回った。途中で別の1人暮らしのT婆ちゃんも捜索に加わり、観音堂の床下、裏山、川べりを探す。それでも見つからない。やがて薄暗くなってきた。「もうよかです。そのうち、ひょっこり戻ってくるでっしょ」とNさんが言い、しばらく様子を見ることに。

 そして今朝。車で1時間ほどの町に住む70代の息子さんがチビ太を探しに来た。「ゆんべは一睡も出来なんだ」Nさんの憔悴ぶりが痛々しい。Nさんにとってチビ太は家族同様、いやそれ以上の存在だったのだろう。いつだったか、天草土産のチクワを届けたら、「チビ太の大好物ですタイ。よかったァ!」と、とても喜んでくれた。こちらは、犬のために土産を買ったのつもりではなかったが……。

 チビ太は、まだ見つかっていない。「死に場所を探しに行って、もうどこかで死んでいるじゃろ。それよりNさんが心配」。近所の人たちは、残されたNさんの身を案じている。

 十分に幸せな一生を送り、人知れぬ場所で、ひっそりと土に還る。こんな死に方もいいではないかと思う一方で、Nさんが愛犬の死を受け入れ、1日も早く立ち直ることを願う。

 

 
2006.06.03 Sat 17:14:27 | 暮らし| 0 track backs, 0 comments
甘いだけでいいのかナ
DSCF0053.jpg 田植えの時期、農道脇の山の斜面などに草イチゴが赤い実を沢山つける。

 地元では、「どがんすイチゴ」と呼んで、爺ちゃん婆ちゃんたちが畑仕事の行き帰りによく食べている。子供のころは、このイチゴをザルいっぱい摘んで、おやつにしていたそうだ。「どがんす」の意味を訊いたが、分からないということだった。

 味は、ほんのりした甘味の陰に酸味が潜み、さっぱりしている。小さな種が口の中でシャリシャリするのも、野の趣があっていい。しかし、栽培イチゴの甘さに慣れた人は多分、物足りないと感じるだろう。

 テレビの食べ物番組で芸能人がよく、「柔らかあ~い、甘あ~い、おいひ~」とコメントしている。彼ら、彼女らにとって甘くて柔らかいイコールおいしい、のだ。子供は甘いものを好む。それが大人になるにつれ、辛味・渋味・酸味なども立派な味であって、それぞれおいしいと気づく。甘いものを「おいひ~」とワンパターンでもてはやす連中は、子供の味覚から進化していないに違いない。

 品種改良で、野菜も果物もどんどん甘くなっている。そんな傾向を私は苦々しく眺めている。

 

2006.06.02 Fri 16:49:34 | 食べる| 0 track backs, 2 comments
カテゴリーは郷愁
 田植えが始まった。大きなエンジン音を立てて、田植え機が往復している。田植え唄、早乙女、手伝いの子供たち、畦に座って握り飯を食べる家族……そんな風景はもう見られない。昔の田植えを分類するなら、カテゴリー「郷愁」だろう。

 我が集落では、ほとんどの農家が、農協か農機具販売業者に田植えを頼んでいる。畦の草刈り、代掻きのあと、田んぼに水を張って田植えの順番を待つ仕組みだ。

 70代後半の爺ちゃんが「昔は盆と正月しか米の飯が食えなかった」と話していた。農家ですら滅多に食べられなかった米が、今は生産過剰で余っているという。田植えも稲刈りも外注。時代が変わったのだ。

 集落の田植えが終わると、「さなぶり」(早苗饗)あるいは「泥落とし」と称して、日帰りの慰安旅行に出かける。一昨年は約30人打ち揃って、天草へ行った。男も女もちょっとおめかししていて、「早苗饗や髪撫でつけし日焼妻」(高野素十)の雰囲気。温泉に入り、上げ膳据え膳のご馳走を食べ、アルコールが回るころはカラオケ大会も最高潮となる。年に1度の贅沢だ。

 ところが、昨年は参加希望者が少なくて、「さなぶり」は取りやめとなった。今年もどうなるか分からない。年をとって、飲めや歌えの宴会に出るのが億劫になったと言う人も確かにいる。だが、それより何より、田植えを他人に委ねた結果、「今年も無事、田植えが終った!!」という喜びが薄くなり、「さなぶり」に参加する意味が無くなったのではあるまいか。

 近い将来、「さなぶり」「泥落とし」がカテゴリー郷愁に分類されるような気がしてならない。

 

 

 
2006.06.01 Thu 22:32:06 | 畑仕事| 0 track backs, 2 comments
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