おおむね農夫、時に木こり。「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし」(山頭火)。こんな生活のあれこれを綴ります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- --:--:-- | スポンサー広告|
「バーカ」でも「サイテー」でも
かあちゃん 1週間もブログを休んでしまった。
ブログだけではなく、パソコンそのものを開かなかった。

 パソコンの故障でも病気でもなく……いや病気かな。
畑仕事や集落の草刈りは普通にこなしたのに、億劫でパソコンの前に座れない。
元々、キカイに弱いネット落ちこぼれ体質に持病の怠け病が追い打ちをかけたようだ。
わざわざ訪問して下さった方には御免なさいとお詫びしたい。

 パソコンを閉じている間、田辺聖子の『ひねくれ一茶』(講談社文庫)と重松清の『かあちゃん』(同)を読んだ。
前者は643ページ、後者は535ページの長編だが、どちらも最後まで面白く読めた。
『ひねくれ一茶』の解説で、五木寛之さんは、作品を読み終えたときの自分の心境をまさに「兜を脱いだ」と語っている。
一茶は田辺さんが書いたような人間だったに違いないと思えたので、私の気持ちも同じだった。

 重松さんは「あとがき」で、出版に至るまで世話になった編集者、画家、装丁家たちに礼を述べたあと、「もちろん、読んでくださった方には、ありったけの感謝を捧げます。ありがとうございました」と書いている。
登場人物の中学生の言葉を借りれば「バーカ」で「サイテー」の子どもや大人(もちろん私もその一人)にも、それぞれ心があり、いつもではないけれど懸命に生きようとしていることを分かってくれた重松さんに、私の方こそありがとうと言いたい。

    ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif 
スポンサーサイト
2013.09.26 Thu 18:34:09 | | 2 comments
猫に餌をやるということ
老い㊤

追加若いころだったら、何も思わずに読み飛ばしいたに違いない文章に、ふと目がとまり、繰り返し読むことがある。
乙川優三郎の時代小説『霧の橋』(講談社文庫)にも、そんなくだりがあった。

武士を捨てて商人になった主人公の紅屋惣兵衛に年長の同業者、松葉屋三右衛門が、こう話しかける。
少し長いが、勝手に端折るのは作者に失礼だから、そのまま引用する。

「家に猫がいましてね、一度晩酌のときに鱈(たら)の皮をやったのが癖になり、日が暮れるとわたしの膝元へすり寄って来るんです、これがけっこうかわいいものでして、いまでは毎晩欠かさず酒に付き合ってもらっています、もっとも今夜は女房が相手ですから、どうしているか……」
三右衛門は銚子を持ったまま、ふふと低い声で笑った。
「ときどきふと思うことがあります、もしかしたら、いまのわたしは猫に餌をやるために生きているんじゃないかと……まあ、それでもいいんじゃないかとね、分かりますか、そんな気持ち?」
「はあ……」
「若いころは商いに夢中で、それが生き甲斐でした、しかし、そろそろ死ぬときのことも考えるようになって、歩いてきた道を振り返ってみると、わたしがしてきたことは間違いじゃないが、それ以上のものでもないと思いました、それだけ生きることに、いや、金儲けに夢中で、それこそ猫に餌をやることなど考えもせずに生きてきたのです」


 我が家にも猫2匹と犬1匹がいましてね、いつもペットショップの猫餌、犬餌では味気なかろうと、時折、豆鯵や脂肪分の少ない肉の湯引きなどを食べさせています。
だから、空腹になると猫も犬も、こんな目でじっと私を見るのですよ(写真㊤)。

 私も若いころは、犬や猫に餌をやって老後を過ごすなんて夢想だにしなかった。
自分なりにベストを尽くしたつもりだが、思い出せばうなだれるしかない悔いも多い。

「そろそろ死ぬときのことを考えるようになって」何を考えるか、何をするか、それこそ千差万別、人それぞれだ。
三右衛門のように猫に餌をやって安らぐ晩年を過ごすのも、アリだろう。

    ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif 
2013.09.08 Sun 14:51:03 | | 6 comments
最期の迎え方
表紙 ’01年版ベスト・エッセイ集『母のキャラメル』(文芸春秋)には58編のエッセイが収められている。
面白い作品が多かったが、中でも作家・南條範夫さんの『九十一翁の呟き』が心に残った。

 「私は現在九十一歳だが、八十を過ぎる迄は、老いの意識は殆どなかった(中略)。どうやら老いたなと感じたのは、数年前、八十八、九歳の頃である」という南條さんは、六十歳そこそこの連中が老人くさい愚痴をこぼすのが我慢ならない。
五十歳を過ぎたころから体の不具合、物忘れ、気力の衰えに老いを感じた私は、うなだれるばかりだ。

 意気軒昂な南條さんも九十歳を過ぎたころから、いつ死んでもいいと思うようになる。
「死ぬこと自体にはもう何の恐怖もないが、長い間病臥したり、死に際に肉体的苦痛を訴え続けるような死に方は、考えただけでもゾッとする。楽に死にたい――それだけが今の願いだ」

 誰だって寝たきりや、認知症にはなりたくない。
最後まで痛く、苦しい思いをするのもいやだ。
問題は、どんな最期を迎えるか自分の意思で選べないことなんだよね。
南條さんは本人が希望したときは安楽死を認めてほしいと書いている。
同感だ。

 このエッセイを書いた四年後に南條さんは肺炎で亡くなった。
長患いしたのか、肉体的な苦痛はあったのか、死亡記事では分からなかった。

     ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif
2011.07.27 Wed 15:34:05 | | 0 track backs, 2 comments
くじけないで
トヨ 品切れだった本が、ようやく届いた。
92歳から詩を書き始めた柴田トヨさん(99)の詩集『くじけないで』(飛鳥新社)。全国に共感を呼んで今月、100万部を超えた。

 全国の自殺者が昨年、13年連続で3万人を上回った。さまざまな悩みで、くじけそうになる人は自殺者の何倍もいるだろう。私は滅多にベストセラーを読まないが、トヨさんの作品の何が人々の心を打ったのか知りたくなり、注文したのだった。

 「倅(せがれ)にⅠ」という作品がある。

何か つれえことがあったら 母ちゃんを思い出せ 誰かに あたっちゃあ だめだ あとで 自分が嫌になる ほら見てみなせ 窓辺に 陽がさしてきたよ 鳥が 啼いてるよ 元気出せ 元気出せ 鳥が啼いているよ 聞こえるか 健一 


 この詩を読んでどう感じるか人それぞれだろう。他の作品についても同様だ。私自身も「作品の何が人々の心を打ったのか」という疑問に答えを見いだせていない。

 私の母は94歳で一人暮らしをしている。勤め人時代からの友人は、がんが肝臓に転移した。明日にでも、それぞれに『くじけないで』を送ろうと思う。

     ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif
2011.01.12 Wed 16:44:33 | | 0 track backs, 2 comments
田舎に暮らしても
4人 朝から雨だ。仕方がない。本でも読もう。

 宮本輝の「私たちが好きだったこと」(新潮文庫)。何年も前に買った本だ。
表紙の紹介文によると、この本は「工業デザイナーを目指す私、昆虫に魅入られた写真家のロバ、不安神経症を乗り越え、医者を志す愛子、美容師として活躍する曜子。偶然一つのマンションで暮らすことになった四人は、共に愛を語り、二組の愛が生まれる……無償の青春をを描く長編小説」だ。

 バーで、たまたま近くに座った男女四人が同じマンションの一室に暮らし、愛が生まれる、だって?馬鹿馬鹿しい。作者が宮本輝でなかったら、私はこの本には目もくれなかっただろう。

 読み始めると宮本の巧みな語り口に乗せられて、現実にありうる話かどうかどうでもよくなり、最後まで一気に読んでしまった。年々、根気が無くなる私だが、宮本作品に退屈して途中で投げ出したことはない。

 本の前半に、こんな文章があった。
「私たちの生きている世界は、刺激に満ち、騒音だらけで、不快な色や形が氾濫し、人々は他人に優しくなく、心を機械的に操ろうとし、弱い者を捨てようとする……」

 ここでいう「私たちの生きている世界」は東京だ。私も都会で暮らしているときは、他人に優しくない人々の一人だったと思う。騒音や刺激、不快な色や形のない山里に暮らしている今、人に優しくなっただろうか。情けないことに全く自信がない。

     ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif
2011.01.04 Tue 13:56:39 | | 0 track backs, 4 comments
年賀状は来年2月に書けばいい?
永 年賀状は毎年、パソコンで書いている。年に1回しか書かないから翌年の12月にはパソコンの手順をすっかり忘れている。宛先の削除・変更はどうやって?裏面に写真を挿入する方法は?等々、いちいちマニュアルを見なくてはならない。年賀状の準備をしなくてはと思っただけで憂鬱になる。

 永六輔さんは「年賀状なんか松が取れてから、ゆっくり書けばいい」という考えだ(「言っていいこと悪いこと 日本人の心の『結界』」知恵の森文庫)。

 年賀状を書くのは旧暦元旦でいいんです。そもそも年賀状は、元旦の朝に書けばいいんですから。
旧暦元旦は毎年違います。
98年は1月28日でした。
松も取れてゆっくりし、それから書き始めればいいの。
「旧暦元旦」と書いて1月28日に投函すれば、旧暦元旦の日付で届きますから。
年賀状なんて古風なことは、ゆっくりでいいんです。


 来年の旧暦元日は2月3日だ。その日に投函すればいいとなると、まだ50日近く余裕がある。

 だが待てよ。
いずれにしても書かなくてはならないなら、2月まで問題を先送りしただけではないのか。
2月になって「明けましておめでとう」と賀状が届けば、沢太郎もいよいよ頭のネジがゆるんだなと思われるのが関の山だろう。

 そんなことをぼんやり考えながら、まだ年賀はがきも買っていない。

     ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif
2010.12.13 Mon 16:08:01 | | 0 track backs, 4 comments
臆病者の烙印を押された戦闘機乗り
ゼロ 遠くに住む友人から1冊の本が届いた。百田(ひゃくた)尚樹の「永遠の0」講談社文庫。著者も本のタイトルも初めて見る名前だ。本に挿んであった一筆箋に、こんなことが書いてあった。「君の住んでいる山には本屋はないだろうから送る。いい本だ。読んでくれ」。本屋がない、とは失礼な。街に出れば2軒もあるぞ。

 本の帯に児玉清氏が「僕は号泣するのを懸命に歯を喰いしばってこらえた。が、ダメだった」と記している。26歳で死んだカミカゼ特攻隊員の話らしい。参ったな。世の中には泣きたいことが山ほどあるのに、なぜ今、戦争の悲惨さに泣かなければならないのよ。正直言って気乗りしなかったが、読み始めたら止まらなくなった。

 司法試験を落ち続けて無気力になっている健太郎とフリージャーナリストの姉、慶子の祖父、宮部久蔵は終戦の数日前、アメリカの航空母艦に体当たりして死んだ。終戦60年を機に慶子は弟を誘って、祖父がどんな人間だったか調べるために、祖父を知る元軍人を訪ね歩く。最初に会った男は「宮部は海軍航空隊一の臆病者」「命惜しさに逃げてばかりいた」と祖父を罵った。

 2人はショックを受けるが、めげずに証言を集めて行くと「天才的な操縦の腕を持ち、部下にも丁寧な言葉を使う」「この人のためなら死んでもいいと思った」という別の人間像が浮かんでくる。ジグソーパズルのピースを丹念に集める姉弟の行脚は推理小説の謎解きのようだ。

 私は児玉氏のように号泣はしなかったが、何度も本を閉じて涙をぬぐったと白状しておこう。特にパズルの大きな最後のピースがぱちりとおさまった時は呆然とした。姉も弟も祖父の生き方を知って自らの生き方が変わったが、私の内面も少し変ったように思う。

 筆者は圧倒的な筆力で複雑なことを易しく書いている。散りばめられている挿話の数々には、よくぞ調べたなと感嘆する。太平洋戦争で日本とアメリカが戦ったことも、それでどちらが勝ったかも知らない人でも、零戦や航空母艦が何のことか分からない人でも大丈夫。一読したら「いい本だ。読んでごらん」と誰かに勧めたくなると思うよ。

    ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif

2010.10.13 Wed 15:48:53 | | 0 track backs, 8 comments
急ぐとも心静かに……
ほん 雨が降り続いている。
外出するのも面倒なので、本を読んだり居眠りしたり。我が家の怠け猫と大して変わらない。

 開高健の「食卓は笑う」(新潮文庫)を読んだ。
10数年前に買って、読まないままホコリをかぶっていた本だ。
そろそろ読まないと、開高先生に申し訳ない。

 先生は自ら採集した小話を引いて、俗事の機微を縦横に語っている。
たとえば――。

 あなたの物はあなたが考えているほど大きくはありませんので、どうぞ、もう一歩前へ出て下さい。

 これがアメリカの紳士用公衆便所の落書の古典的傑作の一つであると聞かされていた(中略)。いつごろできた作品かはわからないけれど、今でも使われているようである。ナイアガラの滝の公衆便所で一回、ニューヨークのグランド・セントラル・ステーションのトイレで一回、一字一句違わずに書かれているのを見て、ニヤリとしたことがある。


 「あなたの物は……」がアメリカの古典的傑作の一つなら、日本の“便所文学”の傑作は急ぐとも心静かに手を添えて外にこぼすな朝顔の露ではないかと私は思っている。
これにはいくつかバリエーションがある。紳士諸公に人気のある証拠だろう。

 近年、「いつも綺麗にご利用いただきありがとうございます」といった貼り紙をちょくちょく見掛ける。丁重な言葉遣いに偽善を感じて、私の好みではない。
太字で「一歩前へ!」というのも号令を掛けられているようで面白くない。

 ごちゃごちゃ言わずにトイレはきれいに使いなさい!と一喝されれば、それまでだけれど。

    ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif  
2010.06.18 Fri 14:38:25 | | 0 track backs, 0 comments
マジかよバーカ
     雨がびちびち降っている。
    こんな日は昼寝するか本でも読んで時間をやり過ごすしかない。

     重松清の山本周五郎賞受賞作「エイジ」(朝日文庫)を読んだ。
    東京近郊の中学生たちを題材にした小説だが、
    中学生の大人びた会話に驚き、しばらくぼんやりした。

        「おまえ、部活やめたって、マジ?」
       「はい……」声が震えた。「マジです」
       「なんでだよバーカ、こら高橋、おまえバスケ部なめてるだろ?違うか?」

                  
                      とか

        「マジ殺されるぜ。ボコられてよ、膝痛いんだべ?
       そこ、金属バットでバコーンってよ」
       「うっせえんだよ、てめえ」
       「んだ?このクソがよお……」
 

     優等生も悪ぶった奴もこんな調子だ。
    女子生徒も「マジ」は当たり前。

     日本語だから意味は分かるけれど、外国語のようにも聞こえる。
    でも、本当だろうか。
    つい最近まで小学生だった子供がチンピラみたいな口をきいているのは。
    誇張や創作ではないだろうね。
    
     言葉は時代を映して常に変わる。
    良いの悪いのと論じるつもりはない。
    そのうち老人会でも「マジかよ」
    「マジ、マジ」なんて会話が飛び交う時代が来るかも知れない。

     別にそれでもいいじゃん。
     (ちょっと投げ遣り)

    ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif           
2010.02.01 Mon 15:26:50 | | 0 track backs, 2 comments
人を哀しませたら
本 昔に買ってからずっと、本棚に眠ったままになっている本をボチボチ読んでいる。
今日読み終えたのは宮本輝の「人間の幸福」(幻冬舎文庫)。
哲学書か宗教書みたいな題名だが、私がそんな難しい本を読むはずがない。
簡単に言えば、ミステリー仕立ての人間模様である。

 春の午後、主婦が金属バットで頭を殴られて殺された。
主婦は隣接するマンションの住人らとしょっちゅう揉め事を起こす嫌われ者だ。
一体、誰が主婦を殺したのか?
犯人探しが進むうちに、どこにでもいそうな平凡な人、家庭の意外な秘め事や苦しみが次々あらわになっていく。
裏表紙に「心の迷宮を解く傑作長編」と書いてあった。
そうかも知れない。

 登場人物の一人、「ご無用さん」というあだ名の老人が、こんなことを言っていた。

 「とにかく、人を哀しませたりしちゃいけませんな。不思議なくらい、自分の身に返ってくる。まったく気味が悪いくらいに、みごとに自分に返ってきますよ」

 ページを閉じて思う。
自分はこれまで、どれくらい多くの人を哀しませ、傷つけて来ただろう。
償いをしたくても、もうこの世にいない人もいる。

 哀しみが自分の身に返ってきて当然だな。

     ↓よろしかったら応援のクリックをお願いします。
20071103161540.gif
2010.01.15 Fri 14:21:50 | | 0 track backs, 4 comments
小説家が主人公の小説は……
           畑の隅に小さな白い花が咲いていた。
           ニラの花に似ているが、葉の形がまるで違う。
           名前は分からない。
白い花 名前を知らなかったら、それらはたんなる草花であり、木であり、においであり、鳥であるだけで風景の中に埋もれてしまっていることだろう。目の前にあったとしても、特別気に留めないでいることが多いだろう(佐伯一麦『遠き山に日は落ちて』)。

  私は「小説家が主人公の私小説は面白くない」という偏見を持っている。
この本の主人公も小説家で、妻と離婚したあと、染色家の女性と貧乏暮らしをしている。
読後の感想は「ほら、やっぱり当たっているだろ?」というものだった。

 ただ、上に引用した部分だけは「なるほど、そうかも知れないな」と思った。
もっともこれだって、ごく当たり前のことで、わざわざ意味ありげに書くような内容ではない。

 自分の好みだけで、えらそうなことを書いたが、偏見の無い人が素直に読めば、また別の感想を持つだろう。

     ↓よろしかったらココを押して、応援してください。
20071103161540.gif
2008.10.25 Sat 15:15:35 | | 0 track backs, 2 comments
勝海舟の俳諧
 今日も雨。仕方がない。本でも読むか。
勝海舟晩年の語録『氷川清話』(角川文庫)を久しぶりに取り出した。
東京赤坂の氷川神社脇の屋敷で、勝は崇拝者相手に自己の経験、古今の人物、政治や外交について縦横に語っている。
どのページから読もうと、どこで終わろうと構わない仕掛けなので、根気のない読者には都合がいい。

 幕末の修羅場を生きのびた体験の裏打ちがあるせいか、勝は何ごとにも自信たっぷりだ。
たとえば、こんな調子。

 俳諧といえば、いくつも作ったが、ここに一つおれの得意の句がある。それは

                時鳥不如帰遂に蜀魂

 ほととぎすほととぎすついにほととぎす。人生すべてかくのごとしさ。少壮のときには、時流に従うて、政党とか、演説とか、選挙とか、辞職とか騒ぎ立てるが、これはすなわち時鳥だ。
 しかし、これも一時で、天下の事、意のごとくならず、むしろ故山に帰りて田地でも耕すがましだと、不平やら失望やら、これが中年から初老の間で、いわゆる不如帰だ。
 しかしてかれこれするうちには年が寄って、もう蜀魂(しょくこん)だ。つまり、十七文字の間に、人生を一括したのさ。
 (中略)先生の字義がむずしいというから、それは字義の講釈など聞かないでも見る人にはわかる。芭蕉の句でも見る人の眼識しだいで、深遠の意味が自ら心に浮かんで来る。もし芭蕉がおれの句を見たなら、きっと感心するだろうよと、いばったっけ。


 ああ言えばこう言う喰えない爺さんだなあ。

    ↓よろしかったらココを押して、応援してください。
20071103161540.gif
 
2008.08.19 Tue 15:56:30 | | 0 track backs, 0 comments
熊本県人が揉み手をするとき
 熊本の人がもみ手をすると、喧嘩の前の指ほぐしの形になるという。
♪槍は柳川 剣術ァ久留米 意地は熊本 気は薩摩
 (中略)熊本人の意地を熊本弁で、もっこすという。<もっこす>は鹿児島県の<ぼっけもん>、土佐の<いごっそ>と、その心意気を比較されるが、土佐の<いごっそ>が、権力への反発が旺盛であるのに反し、<もっこす>は単純ガンコ、意地っ張りであるようだ。
 『方言風土記』(雄山閣)すぎもとつとむ

 “肥後もっこす”の意味は、おぼろげながら知っていたが、熊本県人の揉み手が喧嘩の前の指ほぐしだとは知らなかったな。
これからは、揉み手をする熊本県人には気をつけよう――というのは、もちろん冗談。

 県民性を語る本は沢山ある。
○○県人の性格は△△という分析は、どれぐらい当たっているものだろう。
その県の雰囲気の一端を伝え、多少の真実は含んでいる程度ではなかろうか。

 熊本県民が単純ガンコかどうか語る資格は私にはない。
30戸足らずの小集落に住み、そこの人々との淡白な付き合いだけでは、判断材料が致命的に足りないからだ。

 今のところ、これぞ単純ガンコの肥後もっこすという人に出会ったことはない。
この先、会いたいかと訊かれたら、会いたいような会いたくないような……。
まあ、遠慮しときましょうか。

     ↓皆さんのクリックが励みになります。
20071103161540.gif

2008.03.16 Sun 16:42:04 | | 0 track backs, 0 comments
悲しい眼をした雛人形
          あかりをつけましょ ぼんぼりに
          お花をあげましょ 桃の花
          五人ばやしの 笛太鼓
          今日は楽しい ひな祭り 


 ラジオから雛祭りの歌が流れて来た。
そうか、あさっては桃の節句か、と思うだけで、特段の感慨も思い出もない。

 男ばかりの兄弟だったから、我が家に雛人形はなかった。
姉妹がいたとしても、終戦直後の貧しい暮らしの中で、雛人形を飾る余裕があったとは思えない。

 芥川龍之介の短編小説『雛』。
親代々、諸大名に金を融資していた豪商が幕府崩壊で没落し、両親と兄妹の一家4人が土蔵で暮らす明治の物語だ。
いよいよ切羽詰まった一家は、30もの桐の箱に入った雛人形を横浜のアメリカ人に売ることにする。
娘は最後に一目だけでも雛人形を見たいとせがむが、父は決して許さない。

 雛を引き渡す前夜、ふと目を覚ました娘は、誰かが暗い行燈の灯を頼りに雛人形を見ていることに気づく。
それは父か、母か、兄か……ネタばらしになるので、これ以上書かないことにしよう。

 古い雛人形のまなざしには、何とも表現しがたい深みがある。
何十年、何百年もの間、人々の栄枯盛衰を見て来たからではないか。
そう思うようになったのは多分、『雛』を読んだからだろう。

     ↓皆さんのクリックが励みになります。
20071103161540.gif

2008.03.01 Sat 17:14:11 | | 0 track backs, 0 comments
退院報告㊦――入院中に読んだ本
喪服 カラスが毎日のように見舞いに来て、病室を覗いては「元気かぁ~」と励ましてくれた。
嬉しいけれど、喪服が気になる。
ジョウビタキは紋付を着て来るのになあ。
――なんて、くだらないことを考えるほど、入院中は時間があった。

 居眠りをしては本を読み、以下の本を読み終えることが出来た。
このほか、夫婦へんろ紀行(東方出版)藤田健次郎を読むつもりでネット書店に注文していたが、入院に間に合わなかった。
残念!

 沈黙(ハヤカワ文庫)ロバート・B・パーカー
私立探偵スペンサー・シリーズ。“気の利いた”会話はハードボイルドミステリの魅力の一つだが、作為が過ぎると鼻につく。この作品が、まさにそう。
 悪人(朝日新聞社)吉田修一
老人にとっては遠い花火のような世界。30歳若かったら共感したかも知れない。
 敵手(ハヤカワ文庫)ディック・フランシス
この作家の競馬シリーズは外れが少ない。アメリカ探偵作家クラブ賞受賞作のこの作品も当たりだった。
 ノクターン(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)エド・マクベイン
87分署シリーズとはウン10年つきあっている。多作で鍛えた語り口は見事と言うしかない。今回は美貌のピアニストの末路が哀れだ。
 おとこくらべ(ちくま文庫)嵐山光三郎
樋口一葉や芥川龍之介などの生と死を描いた5編。「よく調べたね」と先達の山田風太郎が褒めそうな作品。
 山の暮れ(集英社文庫)水上勉
今回読んだ本の中で一番面白かった。主人公は定年退職後、70歳近くになって、「つらい話は、山ほども海ほどもある」ふるさと若狭の山里に移住する。山の土で骨壷や皿を焼いたり、カメが遊びホタルが飛ぶ川を作るといった地味な話だ。私が心惹かれたのは60歳になって山里に移住した境遇が幾分似ているからであって、田舎の暮らしや自然に興味のない人には退屈な本かも知れない。

     ↓皆さんのクリックが励みになります。
20071103161540.gif

2008.02.04 Mon 18:16:30 | | 0 track backs, 0 comments
"shw-greenwood" template design by Shallwill
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。